2019年3月26日  就職(障碍者雇用)

 私は4月1日から障碍者雇用という形である会社にお世話になることになった。

 その面接(といっても顔合わせと説明のような形)に今日行ってきた。

 障碍者雇用についてはほぼ全くと言っていいほどわからないので、相談員の人が付いている。彼は遅刻してきた。数分ではあるが。

 しかし、障碍者雇用といっても一般の人と手続きに特別大きな違いはない。

 前準社員で勤務した時と書類の量はさほど変わらなかった。

 助成金についての書類がないだのと相談員は言っていたが、私には関係のないようだった。

 面接もほとんど説明で終わった。

 そして制服を借りそれで終了だ。

 だが思った。

 多い、書類が多い。人が一人働くだけでこれだけの書類を処理しないといけない人がまたいると思うとそれだけであほらしくなる。

 その上一番の問題は保証人で、一番いらないだろと思うのは地図だ。

 日本の礼儀で保証人には貢物が必要だし、友好関係の狭い人には保証人探しは困難を極める。父は高齢で夏に退職予定。2人必要だ。これは相談員でもいいのだろうか?

 地図に関してはgoogleの地図を貼り付けてもいいらしいが車で40分のところだ1本道とはいえさすがに見えなくなりそうな気がするがそれでもいいのだろうか。

 とにかく折角マイナンバー制度実施して私たち国民にとってはめんどくさいことが1つ増えただけのように感じる。

 税金の管理が目的らしいが、折角ならそういった事務手続きを省略できるように活用してほしいものだ。住所と氏名どんだけ書かせるのよ……。

 履歴書も履歴書で1文字でもおかしければ書き直し。経歴もメールで送ったり、マイナンバーで表示されたりするように全企業ならないかな~。

 

 本題はここからだ。

 僕は障碍者雇用で働く。

 週4日5時間からのスタート。週20時間は働かせないと会社側が怒られるらしい。助成金との兼ね合いもあるのだろう。

 まぁそれでだ。一応定期的に労働して金銭を得るのだからニートよりは社会的体裁も幾分ましにはなる。

 でも私がここ1年半ほど働かなかった理由は「ほしいものが特段ないから」である。

 働かなくても最低限親に頼ればどうにかなったし、うちの母親は最近話題の毒親である。それも私の病気・障害に影響を及ぼしているためその援助を当然のものとして受けいれることもできた。

 しかし今回働くに至った理由は「両親が勝手に進めたから」である。

 勝手に市役所の雇用相談所に行き、とんとん拍子でここに至った。

 まじめな性格の私は他人の絡むことに遅刻や欠席ができない。それも災いしてことが進んだ。

 働くことが嫌なわけではない。

 内容は顧客資料をPDFに保存して紐づけて保管するだけである。

 別に誰でもできる上に難しいことではない。

 ただ、これはほかの人にとってである。

 私にとってはかなり困難を極める場合がある。

 資料はホッチキスによって閉じられ冊子にされている。

 そのため閉じ方によってはスキャンの不備が出やすいのだ。これが強迫性障害の私には難しい問題となる。30ページをまたスキャンしなおし20分ほど使う(丁寧にするため)。すると居た堪れない気持ちになり、軽いパニックを起こしかける。

 こんな簡単なことさえもできない自分がどうしようもなく滑稽に見える。

 しかし、これ以上簡単な仕事はない、と自分には思う。

 うつ病や障害を持つほかの人はどのような考えを持って金を得て、日々を送っているのだろうか。 

 これで生きていると言えるのだろうか。 

 普段の考えについてはまた別の機会に。

【国会議員の居眠り】について

久しぶりの投稿で日付けまたぎの連投

 

はい、慰安婦問題に続いて言葉関係じゃないですけど同じニュース内でやってた居眠りについて

 

毎度叩かれてますよね~

その姿だけを見て

でも思うんです

ブラック企業の従業員社員については悲哀の声をあげますよね~

そうなんです

みなさん国会議員の仕事知ってますか? 僕は知りません

不透明なんですよ 有名な人以外は

報道されるのは不祥事やスキャンダル

悪いイメージしかないですよね

僕も減らせと思ってる側です

でもあえて言います

もし、国会以外の間ずっと忙しく働いていた場合彼らに安息の時間はあるのでしょうか? 精神は大丈夫なんでしょうか?

もちろん公的な場所で眠るのはダメです

でもみなさん授業中寝たこと1度もないですか?

部活やバイトや学業、早起きして遅くまでしんどいですよね(語彙力)

 

税金で高給もらってるんだからもっと業務内容を透明化してきついなら温かい目で見てあげる人がいてもいいだろうと思います

 

 

ほんと国会議員って何やってるんだろう

【韓国の慰安婦問題】について

久しぶりの投稿です すいません

今日ニュースで「慰安婦」によって日韓関係がどうのこうのっていうのをやってました

詳しくは知りませんが僕にとってみればばかばかしいとおもいます

夜寝る前くらいもっとハッピーなニュースをやるべきじゃないでしょうか

 

まぁそれは置いといて

僕はそんなに詳しくないんですが、いつも思うことがあります

うすうす感じてる人も居るんじゃないでしょうか

「戦争が終わって何年たってるんだ」「いつまでこの話題やってるんだ」

はい、そういうことです

もっというならば

慰安婦を傷つけた人間は死んでるだろうに」「当時生まれてもない大臣たちに何の謝罪をいつまで求めるんだ」

そういうことだと思うんです

 

当時の事を文献やら調査やら慰安婦の口やらそんなことでしか知らない大臣たち(それもコロコロ変わる)にいつまで謝罪求めてお金もらってそれをなかったことにして不満を言ってきっと慰安婦の人たちが死ぬまで続くんでしょうね

死んでも続くと思います

でもこれって韓国政府側が日本の後ろめたいことを突いてマウントをとるためにしか見えないんですよね

前述したように僕はニュースやこの問題について詳しいわけじゃありません、テレビで流れてる程度の事もしらないかもしれない

けれど、いつまでもこんなことやってても日本にとっては仕方ないでしょう

日朝の拉致問題やロシアとの北方領土問題みたいに現在進行形で何かをとられてるわけじゃない

(ロシアとの問題も何の干渉も受け付けない”絶対的存在”が領土やルールを決めてるわけじゃない、だから正直グレーゾーンだと思うんですよね。それを建前やら愛国心やら他にもいろいろ何かしら複雑に絡み合って主張をしてるんだと思うんです)

確かに慰安婦当人たちは傷ついてるかもしれない

けれど人って何かしら傷ついてるじゃないですか

 

直接的関係ない人にいつまでも謝罪やら弁償やら求めるもんじゃないと思います

本人に文句や罵倒浴びせて気が済むまでしゃべらせるのが一番だと思います

 

いつまでやってるんだ

日本の政治家に”いい”人はいないのか

ごめんなさいについて

「ごめんなさい」「すいませんでした」

この言葉を言った時点で人生は少しずつマイナスへ向かっていく、僕はそう思います

たかだか20数年生きたくらいで何を知ったような、とおっしゃるかもしれません

ですが成功する人は謝らない人そんな気がします

総理大臣が謝ってるところを見たことがありません。ドラマを見ていてもお偉い方は謝らないし、会見も謝罪をしないように頑張ります

 

謝る人は下の人間から見れば親しみやすく尊敬できるかもしれません

けど謝る人間というのはうまく使われるだけの人間でしかないのです

 

謝らない人間がどういう人間かというと

簡単にメンタルが乱されない人間であるということです

それはストレスが溜まりにくくパフォーマンスを発揮しやすいということです

体調も崩しにくいでしょう 周りに左右される場面も減ります

その人を中心に回っているような錯覚さえ与えてしまうかもしれません

 

逆に謝る人間は

周りの人の分まで働いたり、気を利かせたり

自分の事以外の事にまで精をだします

頑張り屋さんですね

そう評価はされてもその行動・心労に見合ったものはなかなか得られないのが現状だと思います

 

だから謝らなくていい状況をいかに作るか

それが楽に生きるための足がかりになるかもしれないと僕は思います

ずる賢くあれ、そして自分中心であれ

この世界は自分が認識しているだけに過ぎない

ものごとは自分の脳内で起こっている

ただの電気信号なのだから

 

それくらいの気持ちで生きてみてはどうでしょう

【ルール】

僕らは何事もルールの中で生きています

スポーツにしたって、友人とのコミュニケーションにしたって、遊びにしたって、ゲームにしたって、仕事にしたって、そして生きていくことにしたって

 

しかし、僕らは自分にかかわることであるのにそのルールについてすべてを知りません

意外とは思いませんか?

ルールから外れる行いをすれば審判によって(また空気によって)その場から追い出されるもしくは罰則を受けてしまいます

それなのに僕らはルールを把握せずにその中で生きている

知らないでは済まされないのに、です

 

僕も野球を6年間やりました

ルール違反による審判もいくつか受けました

そこで初めて知ることもありました

 

僕らにとってルールとは後付けでしかないのです

「すいません知りませんでした」

そう言えば何とかなるし情状酌量の余地があるのです

それでも何事もなく物事は回っている

 

ルールとは知っていれば得をするが、知らなくてもなんとかなってしまうもの

でしかないのです

 

常識というものに縛られていますが、それに乗っ取らなくてもいいはずなのです

それがルールの中にあるのなら本来罰してはいけないはずです

人の進化と才能

(言いたいことは主に「」の中にあります)

 

何か得意な人ってうらやましいですよね

それが何か特別で有益なことならなおさらに

 

絵だったり、文章だったり、仕事の能力だったり、運動だったり……

まぁ、ぱっと思い浮かぶのはこんなところでしょうか

 

みんなうまくなるため、上達するために練習をこなす

基本的には反復練習です

何度も何度も何度も……

また周りのうまい人を妬んだりして挫折したり、あきらめたり

 

では周りと自分の何が違うのか、考えますよね

その違いを人は【才能】と呼びます

 

僕は器用貧乏です

だから素早く最低でも一般より少しうまくなる方法をお教えします

それは「イメージ」です

 

できる人とできない人、そこにある違いは見ている世界なのです

その景色を見るために人は基礎を繰り返しステップアップしていきます

そしてある瞬間にふっとなにかが降りてくるのです

しかし、わざわざそんなことをしなくても少し顔を上げるだけでいいのです

上の人を見て真似をする、その中で最も重要なのが「気づき」です

その物事をこなすうえで何が重要なのか一つづつ気が付いていくこと

「気づき」の数を増やすことが大事なのです

それだけで並み以上”には”なります

 

回数こなすことよりも「みる力を養うこと」それに気を付けて生きてみてはいかがでしょうか

 

もっと早い方法は「環境を上に持っていく」ことですけどね

(人は環境に順応するようにできています)

優しい人

世間的には優しいと言われる人は?

 

人のために分け隔てなく行動する人

相手を思いやって行動する人

困ってる人を見つけたらすぐに動ける人

 

まぁこんなところでしょうか

でもそれは本当に優しいのでしょうか?

相手がどこの誰ともわからない人を助ける

事情も状況も知らないで?

これでは勘違いやありがた迷惑なんてことも起こります

その上助けたつもりで実は不幸にしてるかもしれませんよ

相手にとってその場しのぎの易しさになっていませんか

 

"人のために動くときは打算的であれ"

本当にその人のことを考えたらまず動きは止まります、そのはずです

思考する時間が必要ですからね

それでいて何もできない可能性もあるでしょう

そのことを後で悔やむかもしれないし嘆くかもしれない

そうやって苦しむことができる人こそ本当の優しい人だと僕は思います

 

単に人の人生の一部を易しくするだけの人

こうなってはいけないと思います

その行動の後まで考えることのできる人こそ"優しい人"ではないでしょうか

 

恋愛感情でも認められたいでもいい

重要なのは相手にどれほどの時間と想いを抱くかだと僕は思います